ヘサライト対サファイアクリスタル
ヘサライトはプラスチックの一種だ。強度があり光学的に優れた性質を持つ、剛性の高いプラスチックで、眼鏡のレンズや産業機械、ショーケース、自動車のヘッドライトユニットなどに使用するのに適している。もちろん、腕時計の風防もそうした用途のひとつだ。耐候性もかなりあるが、適切な研磨材を使って磨き上げられる程度の柔らかさも備えている。磨けば最高の光透過性を発揮する。20世紀初頭、「プラスチック」という言葉は単に変形が可能な性質という意味で使われていた。当時は金も「プラスチック」的な特性を持つといわれていた。金は打ち延ばすことができ、任意のフォルムへと容易に成形できる。ところが1907年、最初の合成高分子が誕生した。それが世界初の工業用プラスチックへと発展していった。この工業用プラスチックは「ベークライト」と呼ばれた。これが今日私たちが知っている「プラスチック」の第一号となった。
The acrylic canopy of a Supermarine Spitfire
スーパーマリン スピットファイア戦闘機のアクリル製風防。
アクリル製安全ガラスはプラスチックの一種だが、第二次世界大戦の開始直前に大量生産が可能となった。オメガ時計 メンズすると、フロントガラスや潜望鏡、飛行機の風防といった軍事用途で威力を発揮することが分かった。ヘサライトの物理的性質は、衝撃を受けると、割れて飛散するのではなく亀裂が入るというものだ。公式にそうと認めたことは一度もないが、これがNASAがヘサライトを好む理由ではないかと世の中ではまことしやかに語られている。つまり、もし腕時計の風防が宇宙で砕け散ったとしたら、鋭利で危険な微粒子が無数に発生して宇宙船内を浮遊することになり、搭載機器類を傷つけ誤作動を引き起こすリスクがある。ところがヘサライトならば、亀裂が入るだけで飛散することはない。
サファイアクリスタルの風防を採用したデュオプラン「トゥイル」(1938年製)。サファイアクリスタルの風防はこれより前、1929年のデュオプランモデルで初採用された。
一方、サファイアクリスタルの風防は、わざわざ紹介する必要のないほど普及している。ジャガー・ルクルトが1929年製のデュオプランで初めて腕時計に用いた。現代の腕時計は多くがサファイアクリスタルの風防を採用している。物理的性質が優秀だからだ。強度があり、透明で、これが最も重要なのだが、アクリル製の風防と比較して極めて傷が付きにくい。しかしひとたび傷が付いた場合、ヘサライトのようなアクリル風防とは異なり磨き上げて傷を消すことが難しくなる。風防全体の交換が必要になることも多い。ヘサライト風防の付いたスピードマスターオーナーの中には、傷を消すために風防を磨き上げる作業を儀式のように思い、魅力を感じる人もいる。ヘサライト風防にはサファイアクリスタルにはない、固有の光沢があるのも事実だ。柔らかく、優しい雰囲気に光る。特定の角度から眺めると、ヘサライトの曲面によって文字盤の周縁にある秒目盛りがひずんで見えるのだが、こうした味わいは現代のほとんどの腕時計から消えてしまった。